ナレーター・朗読講師

長澤泰子

読むことで広がる世界。朗読自体の楽しさ

2025-12-18更新

前回の記事で、私の教室では「あえてお手本を示さない」理由についてお話ししました。 「正解がない中で、どうやって読むの?」と不安に思われるかもしれませんが、実はそこにこそ、朗読の本当の楽しさと、思いがけない発見が詰まっています。
今回は、実際に受講生の皆さんが感じている変化や、私たちが大切にしている「テキストへの向き合い方」についてご紹介します。

1. 「アナウンサーのように」ではなく「自分らしく」
朗読と聞くと、ニュースキャスターやアナウンサーのように、流暢に、正しいアクセントで読むことをイメージされる方が多いかもしれません。しかし、実際に教室に通い始めた方の多くが、「イメージしていたものと全然違ったけれど、想像以上に面白い」とおっしゃいます。
その楽しさの一つが、「読書の深化」です。
目で文字を追う「黙読」では読み飛ばしていた感情や情景に、声に出すことで初めて気づくことができる。
自分一人ではわからなかった解釈も、グループで他の人の読みを聞くことで「そんな捉え方があるのか」と視界が広がる。
「朗読を始めてから、以前よりも本を読むのが楽しくなった」という声は、教室で最もよく聞かれる感想の一つです。声に出して読むことは、ただの音読ではなく、作品の世界をより深く、多面的に味わう体験なのです。

2. 「ものまね」ではなく「自分自身」として語る
私の教室では、「その文章を自分の言葉として語れているか」をとても大切にしています。
以前、あるご高齢の女性の受講生が、久世光彦さん(男性作家・演出家)のエッセイを読んだ時のことです。性別も年齢も違う彼女の朗読を聞いた他の受講生から、「まるで久世さんがそこにいて話しているように聞こえた」という感想が出ました。
もちろん、彼女は男性の声色を真似たわけではありません。 エッセイに書かれた筆者の想いや考えを深く理解し、それを素直に声にできたからこそ、筆者の魂が乗り移ったかのような説得力が生まれたのです。
器用な方はつい、声色を変えて「作者」や「登場人物」のフリをしてしまいがちです。しかし、私たちが知らない誰かの「ものまね」をすることは、どこか嘘っぽくなってしまいます。 無理に自分以外の誰かになろうとするのではなく、作品を深く理解し、あなた自身の声と心で語ること。それが、聞き手の心を動かす一番の近道だと考えています。

3. 「正しさ」よりも大切なこと
そうした「自分自身の言葉」を大切にしているからこそ、私の教室では「標準語の正しいアクセント」や「イントネーション」の矯正にはこだわっていません。
もちろん、同音異義語など、誤解が生じる様な言葉の場合はお伝えすることもあります。しかし、辞書通りの正しさを追い求めるあまり、読み方が窮屈になり、その人らしい良さが消えてしまっては本末転倒です。 「間違ってはいけない」と緊張して読むよりも、読み慣れたご自身の言葉のリズムで、のびのびと表現してほしい。
長く続けている受講生の皆さんは、年々「頑張って読む」感じが抜け、とても自然体で、まるで楽器を奏でるように言葉を楽しまれています。

まずは、声に出してみませんか?

上手に読む必要はありません。 自分の声で、好きな作品の世界を深く味わう。そんな豊かな時間を、私たちと一緒に過ごしてみませんか?
ご興味のある方は、ぜひ一度見学にいらしてください。お待ちしています。