長澤泰子
芥川龍之介「春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いてゐる」
芥川龍之介の「春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いてゐる」という小説を朗読するにあたって、読み方のポイントになる部分、こんなところを、こんな風に気を付けてみようという読み方の工夫について、実際に朗読教室で話題にしたことを、改めてまとめてみました。
この作品はとても短い作品で、青空文庫でも読めるので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
芥川龍之介の作品の中でも短い方で、朗読の題材としてはちょうど良い長さなので、私自身の朗読会でも読んでいます。
「春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いてゐる」。
少し長いタイトルの小説ですが、黙読するにしても朗読するにしても、あっという間に読めてしまいます。
春の日に往来をお散歩している描写が続く。本当にただそれだけの作品ですが、声に出してみると、お散歩の情景が浮かび上がってきて、まさに、黙読よりも、声に出した方が圧倒的に楽しい作品です。
情景が浮かんでくるだけではなく、朗読を通して、ちょっと自分もお散歩をしたくなる、というところを目指していくのが、この作品を朗読する意味、目的になります。
それというのも、この作品の中では本当になにも起きないのです。
いろんな人と出会ったり、いろんなものを見たりはしますが、誰と会話を交わすでもな
く、それこそ誰かが死んでしまう、誰かとなにか喧嘩やトラブルになる、恋に落ちる。そんなことはなにも起こりません。
ただ見るだけ。人ともただ通り過ぎるだけ。
もしかしたら、なにも起きないことで、作品としては退屈な感じがするかもしれません。
なにも起きない、なにかが解決するわけでもない。
でも、やっぱりお散歩そのものの楽しさというのは、そういうものです。
お散歩している間は、圧倒的に特に何も起きないことの方が多い。
お散歩の途中で、突発的ななにかに巻き込まれたり、なにかを考えたりということは、時折あるかもしれませんが、だいたいが、ただ歩いて気持ちが良かったなというような程度の楽しみ。その小さな起伏、穏やかな楽しさこそが、お散歩に求められる楽しさです。
この小説の楽しみ方は、お散歩の楽しみ方と一緒だと言えるのではないでしょうか。
お散歩そのものの楽しさをこの作品から思い起こさせる、そんな朗読をするにはどうしたらいいか、というポイントがいくつかあるかなと思います。
教室では、スピード感、視線や意識の変化などを中心に、生徒の皆さんと、いろいろな読みを検討しました。
次回から、どんな風に読み進めて朗読にしていったのかを、解説していきます。
実際に教室で扱った内容なので、皆さんの試みにも役にたつのではないかと思います。
「どんな風に読むか」を考えることで、読解が深まります。
黙読よりも、鮮やかに色づく楽しい読書のために、声に出して読むことを実践してみましょう。