長澤泰子
[その3] 芥川龍之介「春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いてゐる」
「春の日のさした往来をぶらぶら一人歩いてゐる」を朗読するにあたってのポイントを、引き続き検討していきます。
お散歩が進んで、顔なじみの道具屋を覗いてみる気になります。
顔馴染の道具屋を覗いて見る。正面の紅木の棚の上に虫明けらしい徳利が一本。あの徳利の口などは妙に猥褻に出来上つてゐる。さうさう、いつか見た古備前の徳利の口もちよいと接吻位したかつたつけ。鼻の先に染めつけの皿が一枚。藍色の柳の枝垂しだれた下にやはり藍色の人が一人、莫迦に長い釣竿を伸ばしてゐる。誰かと思つて覗きこんで見たら、金沢にゐる室生犀星!
屋根屋の親方のことに思いを馳せているところから、顔なじみの道具屋を覗いてみるとなる。この切り替えには、変わったなとわかる間合いが必要になります。
今、道具屋の方に意識が変わった。ということを出していくための間合いですね。
もう一つには、「顔馴染の」と、意識が変わった時に、上の方から読み始める、トーンが上がったところから読み始めてあげると、改まった感じになるので、話題が変わったということが伝わりやすくなります。
道具屋を覗いてみるので、ここは少し、足が止まるかもしれません。
足が止まって、どの程度この道具屋に踏み込んだかということも、自分なりにイメージしてみるといいですね。
ずずっと店の中に入っていったか、あるいは本当に店先でちょっと覗いたぐらいなのかは、少し変化をつけてみてもいいでしょう。
「顔馴染の道具屋を覗いてみる」例えばゆっくり言ったらどうだろう。
「顔馴染の道具屋を覗いてみる」少しさらっと流したらどうかな。
どっちの読み方が、店に入っていった感じと、店先でちょっと眺めるだけにとどめた感じ、どっちがどのように聞こえるかということを、スピードで調節してみると、その辺もありありと情景を浮かばせる助けになります。
実際、道具屋の中でも、まずは虫明焼と思しき徳利が目に入ってきます。
その徳利を見ているうちに、いつか見た古備前の徳利のことを思い出します。ここで、目の前の虫明焼きの徳利から、いつか見た古備前の徳利に、目線、意識が変わっています。
同じ徳利は見ていないわけですから、ここにも意識の変化のポイントがあります。
目の前の徳利に矢印が向いているところから、「いつか見た」なので、記憶の中の徳利に意識が飛ぶわけです。
なので、「目の前」から「自分の中」に、矢印の向きが変わることをしっかり意識して読みましょう。
そうこうしているうちに、今度は「鼻の先に染め付けの皿が一枚」とあります。
徳利から今度は染め付けの皿に目線が移って、「鼻の先に」と、ここは続けざまに読んでしまわないように、きちんと目線が移った分だけの間合いを自分なりに取ってみてください。ここの描写なんですが、
鼻の先に染め付けの皿が一枚。藍色の柳の枝垂れた下にやはり藍色の人が一人、莫迦に長い釣竿を伸ばしてゐる。誰かと思って覗き込んで見たら、金沢にゐる室生犀星!
実際、鼻の先に染め付けの皿が一枚。その後、藍色の柳のしだれた下に藍色の人が一人いる。
というふうに書いてあるので、皿を見て外にある外に植わっている藍色の柳に目が移るのかなぁというふうにも考えられるんですけれども、ここでちょっと引っかかってくるのが藍色の柳だというところですよね。
柳は藍色かと言うと…時間帯によっては見えるかもしれないですし、芥川龍之介がどんな風に柳を見ていたかは知る由もないので、ちょっと何とも言えないんですが、ここは藍色というのがポイントです。
今その前に見ているのは、染め付けの皿です。
白地に藍色で絵付けがしてあるお皿だったと考えるとどうでしょうか。
染め付けの皿が一枚。
「藍色の柳の枝垂れた下に、やはり藍色の人が一人。」というのは、外に実際に生えている柳の木ではなく、お皿に描かれていたのが柳。で、その下に人が一人いるでバカに長い釣竿を伸ばしているという「絵」が、その染め付けの皿に書かれていたということだと考えることができます。
しかもそれがよくよく見ると金沢の室生犀星にそっくりだという描写ですね。
金沢にいる室生犀星のようだとか、室生犀星によく似ている、そっくりだと書かずに、あたかもそこにいるかのように書く。これが芥川龍之介の面白い書き方かなと思いますので、そこは存分に味わいながら、しかしこれは皿のに書かれた絵のことを指しているという解釈を、しっかり伝えたいところです。そう思えば、「鼻の先に染付の皿が一枚」の直後に、目線を動かす間合いを逆に入れないということがポイントになってきます。
これまでも、目線あるいは意識が変わった時には、変わる時にかかった分だけの間合いを取るとうまくいくとポイントとして挙げてきましたが、ここは、お皿から目を離していないと考えて、「鼻の先に染め付けの皿が一枚、藍色の柳の枝垂れた下に……」
と、たとえば句点を読点くらいに感じて、つづけ様に読んでいくことによって、皿から目を離していない。つまり、藍色の柳とそこに書かれた藍色の人というのは、染付の皿の柄なんだということを表現できます。
本当に外に柳が生えていて、そこに本当に金沢にいるはずの室生犀星がいた、あるいはいるように見えたと解釈した場合は、目線の切り替えに即して間合いをとります。
「金沢にいる室生犀星にそっくりな絵だ」と思うか、「こんなところに室生犀星がいるぞ」と思うかによって、驚き具合もちょっと変わってくるかなと思いますので、その辺はどのように選択していくかというのは、自分の解釈、読み取り、読解に合わせて選んでみると良いでしょう。
私はこれを、皿の柄だという風に読み進めました。
藍色の柳の下に描かれた人が、金沢にいる室生犀星そっくりだと驚いた後、次の文章です。「またブラブラ歩き始める」。ちょっと立ち止まって道具屋を覗いてみて、またぶらぶら歩き始めるわけですね。
ですのでここも、「びっくり。金沢にいる室生犀星にそっくりだ」と驚いた後に歩き始めるには、もしかしたら手に持っていた皿を棚に戻して、また道の方に向き直る。これだけの間合いがあるはずなので、ちょっとその動きに即した分だけの間合いを取ってからまたブラブラ歩き始めると、お散歩の様子にリアリティが生まれてくるかなと思います。
またぶらぶら歩き始める。そうすると今度は八百屋の店にクワイが並んでいるのが目に入ってきます。ここから先はまた、次回。
この朗読のポイントは、実際に教室で扱った内容なので、皆さんの試みにも役にたつのではないかと思います。
「どんな風に読むか」を考えることで、読解が深まります。
黙読よりも、鮮やかに色づく楽しい読書のために、声に出して読むことを実践してみましょう。