ナレーター・朗読講師

長澤泰子

1行の春を読む── 区切りが景色を決める

2026-03-29更新

最近、講座では新美南吉の『里の春、山の春』を取り扱っています。

「野原にはもう春が来ていました。」

冒頭の一文には読点は1つもありません。
この一文をどう読むか。
先日は、この一文の吟味だけで、気がつけば1コマの時間が、あっという間に終わりました。

1月〜2月の朗読教室では、谷川俊太郎の詩、『今年』を使って、朗読でできる「表現の要素」について整理しました。

表現の要素とは、「区切りの位置と長さ」「間」「速度の変化(緩急)」「声のトーンの変化(抑揚)」「強弱」「発音」と、名前をつけて整理すると、この6つになります。

この6つ全てを常に気をつけてコントロールするのではなく「とりあえず1個だけ、なにに気をつけるか宣言してから読む」というやり方でレッスンを進めてみました。
「私は今回、速度の変化だけに集中します」と宣言してから、実際に朗読してみるわけです。
こうやって宣言してから読むことで、いつもよりも表現の方向が明確になり、「なんとなくやる」状態から離れられます。
講座中、お互いの朗読を聞き合って、「変化があったぞ」、と実感できた瞬間に多くであいました。

また、一つの要素を意識するだけでも、実際は「速度を意識するとトーンが変化する」「区切りの位置を意識すると速度が変化する」というふうに、他の要素が付随します。
実際はさまざまな要素が絡み合って、朗読でできる表現は多種多様に生まれるのです。
こうして整理された「朗読の中でできること」を意識しながら、新美南吉の『里の春、山の春』に向き合っています。

この作品は、文末がすべて「ました」で終わります。
文章自体は小学校の低学年でも読めてしまう簡単さで、スラスラ読めます。でも、スラスラと読んで何の引っかかりもなければ、単調で箇条書きのような朗読になって、元の文章の柔らかい美しさも台無しになります。

それではもったいない!

「野原にはもう春が来ていました。」を、区切りなしで読むと少し早口な印象になります。桜が一気に咲いたような勢いが出る。「野原には」で一度切ると、パッと野原が目の前に広がる感じがする。さらに「もう」「春が」とちょっとずつ切ると、花がポツポツと咲いていくように聞こえます。

そんな風に、区切りの位置が1箇所変わるだけで、どんな春が来るかのイメージに変化が見られます。

次の行で、ある方が冒頭の「桜が咲き、小鳥はないておりました。」の「小鳥は」の後を長めに切って読みました。
つまり、「小鳥は…ないておりました」。こんな調子です。
すると途端に、「ないて」の前に含みが入り、鳴き声が、「泣き声」にも聞こえるような加減になってしまいます。これは、同音異義語の多い日本語を、声だけで聴かせる難しさといえます。
この物語には悪い人が1人も出てこないし、嫌な予感すらしない。ただ春が来る話です。だから小鳥の後はあまり切らない方がいいかもしれない。
そういう判断が、区切りの精査から自然に出てきました。
どこで切るかを1つ変えるだけで、どんな春が来るかを自分で選べる。それが表現するということの、最初の一歩なのだと思います。

この題材で、教室で深めていることがまだまだあるので、ブログは次回に続きます。